先代に初めて出会ったときは、どのような印象を受けましたか。
当時は、私も前職で経営に携わっており、年は離れているけれど、同じ経営者として教えを請う気持ちが強かったように思います。
そのときに抱いた第一印象は、「非常に堅実な経営者」でした。
物腰は温厚で話し方も穏やか。けれども、仕事に対して一本芯が通っており、辛苦をなめた上での厳しさも感じました。
実際、先代が歩んできた道のりは、山あり谷ありの険しいものです。高度経済成長期に上京した際は、「仕事が腐るほどあった」と言っていました。しかしサラリーマン時代には、就職した会社が4社立て続けに倒産。社員寮が焼けてしまったり、ヤクザを目の当たりにしたり……。苦難が多く、実に多様な“反面教師”を経験しています。
そうした中で、創業前の先代が一社員ながら「上司への手紙」と題して、会社の上層部にしたためた抗議文が残っているんです。
社員の育成や生活より、自分たちの利益にばかり目が向いていた経営陣に対して、強烈な否を突きつけた先代の一本気は、現在の地盤試験所にも、確実に引き継がれています。
先代は「創業の精神」や「創業の理念」を掲げられました。こうした想いは、社内でどのように受け継がれているのでしょうか。
「創業の理念」は言葉を変えて、現在の「経営目的」に凝縮されています。
「地盤試験所は、【土と構造物】に関する検査技法を究め、的確に診断し、もって顧客の満足度を高め、同時に従業員の将来を充実させる」と。
技術に対して実直であれ、お客様に対して誠実であれ、社員に対しても真面目であれ。その姿勢は、今後も地盤試験所が守るべき、受け継ぐべき大切なコア精神といえるでしょう。
もちろん私はトップとして肝に銘じており、機会を見つけては社員に伝えるようにしています。最近では、この考えが社員たちから垣間見えるようになってきました。
器用でも華やかでもない。
それでも時代の激動を乗り越えてきた手腕
2020年からは会社のトップとして、事業を承継された山本社長ですが、先代と同じ立場になった今、「経営者・金道繁紀」の歩みをどのように見られていますか。
見事の一言に尽きると思います。「創業から半世紀」と一口に言いますが、その間の日本経済はジェットコースターのごとく乱高下してきました。
当社は1973年10月創業です。その直後の12月には第一次オイルショックを迎え、「狂乱物価」とも呼ばれるインフレが始まりました。90年代にはバブル経済の崩壊、2008年にはリーマンショックと、その都度、国内インフラ事業は大打撃をこうむってきたわけです。
しかし、そのすべてを乗り越えて、今の地盤試験所があるのですから、先代の手腕には脱帽します。
バブル期には、本業以外の事業や土地売買などに色気を出す経営者も続出しましたが、先代は一切ぶれませんでした。
「本業に忠実に生きる」を徹底したその姿勢は、決して器用でも華やかでもないかもしれませんが、地に足着いたもので、だからこそ当社の信用は成り立っているのだと思います。
2008年に入社された山本社長に対して、先代から「経営者としての心構え」などを語られたことはありますか。
特に言葉に出して「経営とは……」と教育されたことはありません。ただ、私の祖父も創業者だったので、「おじいさまはこうだっただろう」とか、「人や金で苦労したこともあっただろう」という話はしていましたね。
実際、祖父が創業した会社は、代替わり後のバブル期に混迷し、私もその再建に関わりました。時代は違えど、経営の難しさ、人材や金銭面での苦労は体験していましたから、その点においては、共通の感慨があったと思っています。
その一方で、未経験だった「地質」に対しては、しっかり学んでいってほしいと考えていたようです。私は入社後すぐに地質調査部に配属され、以降10年間、現場で徹底的に技術を磨く日々でした。
当社には「地質調査部」と「計測部」がありますが、あえて地質調査部に配属させたのは、「事業の根本は地質にある」という考えがあったからでしょう。
ボーリング調査の助手として櫓の上で作業したり、さまざまな職種の方と協働したりする中で、地質の奥深さに心惹かれると同時に、現場の方々の大変さも身をもって知りました。
それ以外に、先代の背中を見て学んだこともあります。
当社の事業は時代の流れや経済動向に、大きく左右される。競合他社もいる中で、会社をまとめ上げて業界をリードしていくために、まずは安定した利益が大切という経営の基本ですね。
時代が変われば、経営者として求められる資質や能力も変化していきます。そんな変遷の中でも、先代と相通じる共通項はなんでしょうか。
「新しいものが好き」という性質でしょうか。
先代はコンピュータやインターネット黎明期に、自らプログラミングを学び、自社HPの制作を行っていました。同時期に、私も前の会社でHPをつくったり、インターネット販売を模索したりしていたんです。
そのときはすでに会っていましたから、お互いにつくったものを見せていましたね。当時、手書きが主流だった業界にデジタル技術を持ち込み、自らのアイデアを製品化していくチャレンジ精神、バイタリティは、ぜひ見習いたい部分です。
技術者としての先代が持っていた信念こそ、
地盤試験所の「イズム」だ
「技術を持つ者が、常に営業マンである」という意識も、地盤試験所の本質ですね。先代のそうした姿勢を表すエピソードをお聞かせください。
先代は技術者出身ですが、実は60歳を過ぎてから、「技術士」の国家資格を取得しました。現在、理系では最高位の資格ですが、文部科学省がこれを新たに出したのは、先代が60歳になる頃だったからです。
正直、この試験を通るのは、かなり難しい。基本知識を問う大量の問題を解き、その場で原稿用紙何枚分も論文を書かなくてはならないのです。
先代が5~6回落第したあとに、「やっと受かったよ」とホッとしたように報告してきた日のことは、今もよく覚えています。体力的にも、相当厳しかったでしょう。
それでも挑戦したのは、トップとして顧客により信頼してもらうため。そして、「技術=研究・開発・営業・市場開拓の要」という信念があったからこそです。これは現在も、地盤試験所の「イズム」になっています。
ここから先、会社を成長させていく上で、先代から継承していくべき精神と、逆にアップデートしていきたい部分などがあれば、お教えください。
これまで述べてきたことは、すべて継承していきたいと考えています。
「地盤試験所は“いい仕事をする”」というお客様からの信頼を第一に、今後も実直に歩んでいくつもりです。
他方、アップデートしていくべき課題もあります。時代が変われば、事業環境も変化する。
先代が創業された高度経済成長期は、人口増加、インフラ事業勃興、市場開拓の時代でしたが、今は人口減少、国内市場縮小の時代です。優秀な人材を発見・育成し、長く働き続けてもらえるような社内システムの再構築、新たな市場開拓も必要でしょう。
社内体制の刷新も進行中です。「地質調査部」と「計測部」を合体させ、プロジェクトごとにより協力し合える体制を築き、新たに「技術部」を立ち上げました。
自分たちで技術開発をして、特許も積極的に取っていく。海外市場や大学と密に連携し、「ニッチ分野におけるグローバル市場のトップ」を目指して、次の50年も歩んでいきたいと願っています。